言うまでもなく、ミラノ・コルティナで日本人選手が輝いている🇯🇵

 

しかし、みんなクルクルくるくるよく回りますよね。「4回転半!」と言われても、まっったくわからない。

ボクは目視すらできないのに、選手本人は空中で回っているわけですからね。

女子フィギュアスケートの金メダリストであるアリサ・リュウ選手

彼女の父親は中国における天安門事件に関与し、弾圧を恐れてアメリカへ亡命。そして、どうしても子どもがほしかったので、

匿名にて卵子提供を受け、代理出産にて4人の子どもを授かったのです。そのひとりがアリサ・リュウなのだ。

そういった背景を抜きにしても、彼女のスケーティングは素晴らしかった。

どうしても会いたい人がいて、どうしても見ておかねばならない作品があり、長崎に飛んだ。

ただただ、アートが好きなのではなく、自分の中に「なぜ好きなのか」「アートは自分の中の何なのか」…

最近では、そういった探究的視点も多くあるように思う。

そして、以前からずっと行きたかったここへ

美術館のある出島からタクシーに乗ったが、その運転手さんにこう言われた。

「若いのに、資料館に来てくれてありがとうね。」

「いえいえ、特別な感情はないけど、知っておきたいので…」

「私のおじさんはね、8月6日に仕事で行った広島で被爆して、慌てて長崎に帰ってきた9日にも被爆したんですよ。」

「えーー。そもそも広島から汽車は動いてたんですね。そういった当時の背景がまったく想像できないですね。だからこそ、確認したいんです。原子爆弾が落とされた事実以外の色々なことも…」

その時の時刻のままで止まっている時計

乳飲子と共に被爆し、数日後に亡くなった母と子

アメリカ軍がB29に爆弾を搭載するシーン

皮肉にも、爆弾に使用された重要な金具部品は日本製であった

戦禍において誰かが記録していたからこそ、知る事実

時間的に飛行機では難しかったので、電車と新幹線で広島へ向かった。

広島といっても、目的地はほぼ山口県との県境

このチャンスを逃すと、来ることは難しいかもしれないと思うほど、辺鄙な場所にある。

ここで見たかったのは展覧会や所蔵作品よりも、建築

建築家 坂 茂の作品だ。そして、ロゴマークは原 研哉

瀬戸内海に面したこの土地に、カラフルな「移動式展示室」

なるほど、ふーん、そういうことね。と独り言を呟きながら…

そして、広島市内に戻り、仕事の用件を済ませてから向かったのがここ

長崎と同じく、あの時が刻まれていた。

太陽の表面温度は約100万℃だが、原子爆弾の中心温度は数百万℃であり、地上温度は4000℃に達したという。

誰が悪いなどという視点ではなく、その事実を淡々と脳に整理した。

建築家 丹下健三はすべてを一直線につないだ。

オリンピックで各国の選手が抱き合い、讃えあう一方で、今も戦争が絶えない。

日本はあの核爆弾の被害に遭いながらも、その核爆弾の傘の下に平和を担保している。

広島の平和記念資料館の最後の展示はこの写真であった。

谷川俊太郎はこう詠んだ

平和 それは歌ではなく 生きた唇

平和 それは旗ではなく 汚れた下着

平和 それは絵ではなく 古い額縁

 

みなさんにも、改めて知ってほしいと思います。

帰りの新幹線に乗る前に、広島風お好み焼きを食べたのですが、お好み焼きよりもこちらの写真を撮ってしまった。

その地域には、その地域が大切にするものがある。

そういうのがボクは好きでたまらない。